闇市



あまりに潔いスーパーの名前「主婦の店」

現サンシャインチェーンの前身ですが、今思い出してみてもズバリ過ぎるネーミングですね。

目利きの主婦の方々への要望に応えられるだけの鮮度や価格への自信の表れでしょうが、思わず「おっさんは行ったらダメなん?」とありきたりなツッコミが頭に浮かびます。

まあ確かに今より主婦の方が買い物するケースが多かった、昭和の世帯モデルに沿った名前なんでしょうねえ。


とはいえこの「主婦の店」、なにも高知のサンシャインの前身というだけでなく、全国的なスーパーの連合みたいなもので、まだこの店名のまま営業しているところもあります。

先ほど昭和的な店名と書きましたが、現役の店が存在する以上懐古的に考えてはいけませんね。

それどころか、今現在もこの店を利用するおっさん連中は肩身が狭い思いをしていないだろうかと心配してしまいます。

ま、それを言えば子供やお兄さん、お姉さんなど主婦の方以外全員が該当するので余計なお世話ですね。

スーパー大好きおっさんとしては、つい感情移入してしまいました。



主婦の店から闇市への定番ルート



そんな主婦の店、高知ではサンシャインへ名称変更になったのは1986年ですから、まあ団塊Jr.世代以前なら馴染みがあるかと思います。


わたしの当時の行きつけは「井口店」

行きつけといっても、小学生の頃親に付いて行ってただけですけどね。

近くにはいわゆる闇市もあって、このルートでの買い物は日課でした。


闇市は魚のにおいが強烈だったなあ・・・。

細くて薄暗くて、おまけに地面には水槽から漏れた水が流れていて、子供の頃はちょっと苦手な場所でした。


・・・ところが、この「闇市」も徐々に高知人の記憶から薄らぎつつあるようです。

「主婦の店」に比べればつい最近まであった気がしますが、それでももう閉鎖されたのは17年前。

世代的にも「何それ?」の方が多くなってきてますから当然ですか。



高知の闇市とは?



闇市自体は一般的には第二次大戦後、配給制度が実質形骸化し物資が不足する中、経済統制を無視して食料や生活用品を公然と取引していた露天市のことを指します。

非合法ながら戦後のさらなる混乱を避けるため警察組織も黙認していた、いわば必要悪の流通形態です。

全国各都市部に形成され、ここ高知にもありました。

なかでも上町5丁目の闇市は進駐軍の命により作られたそうですので、他とは少々事情が異なるのかもしれません。


その後「城西振興市場」として長らく栄えることになります。

まあ、城西振興市場なんて呼ぶ人は関係者くらいで、ほとんどの人は昔の呼称のまま闇市と呼んでいたと思いますが・・・。




独特の空間



なにせわたしが初めてここへ来たのは小学校入学前。

屋根のあるアーケードの作りとはいえ帯屋町辺りと比べると狭く暗く、また扱っている商品も子供からすれば少々抵抗のあるものばかり。

いえ、売っているものは普通なんですが、スーパーのように綺麗にパックされたものばかりでなく、計り売り用にそのまま陳列されていましたから、ちょっとグロテスクに映るものもあったりして。
(今なら珍味!とか言って喜びますが)


そして、先ほども書きましたが、路面には水槽や生簀から常に水が流れ出していて、魚の生臭さ(失礼)とともに幼少期はあまり好きな場所ではありませんでしたねえ。


小学校高学年にもなれば、かえってその独特の雰囲気や店のおじちゃんおばちゃんとの交流が楽しくて買いもしないのに良く顔を出していました(笑)




闇市内
武吉孝夫写真集「昭和51年を歩く」より当時の闇市の様子
わたしが初めて訪れる少し前ですが、雰囲気はそのままです



閉鎖されてから



そんな闇市も、町の個人商店同様、大型量販店の出店による影響でやむを得ず撤退することになります。


跡地は今現在普通の一方通行の細い道路になっており、当時の面影は全くありません。

代わりに記念碑ともいえる「からくり時計」が設置されていますが。




ファイル2

闇市跡地
上町5丁目サンプラザ西側のこの奥にからくり時計が。




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からくり時計が見えました。
まさにこの一帯こそ闇市があった場所です。




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そして、このからくり時計の側面にはこう記されています。




ファイル 2016-09-21 15 34 12



つい先日撮ったばかりですが、経年劣化によりかなり字が読みづらくなっており、撮影した写真をフォトショップで修正してなんとか読めました。


~~以下全文記載~~


【城西振興市場のからくり時計について】

この場所は、戦時中防災用道路として指定(現市道小高坂137号線)されていたが、終戦後の昭和21年11月に進駐軍の命により、戦災被災者や引揚者対策として露天市が立つようになった。

翌年9月からは、市道の占有(43区間)を許可し、バラック建ての仮設店舗が建ち並び、市場としての体裁を整え、その後アーケードを設けるなど発展しながら戦後50年余り城西振興市場として、市民の生活を支えてきた。

しかし、量販店の発達等により、市場内の閉店化が進んだことから高知市は「市場の役割」を終えたとして、新しく道路整備を行うこととした。

このことを知った多くの市民からは、親しみを込めた通称「闇市」を惜しむ声があり、また校区の高知市立第四小学校3年1組(平成11年度)の子どもたちは、総合学習のテーマとしてこの市場を取り上げ、離れ離れになる市場の家族が集う場所に「からくり時計」の設置を高知市に要望した。

その思いがここに実現し、この「からくり時計」が市民に時を告げる。

平成13年3月 高知市長 松尾 徹人



平成の闇市は?



個人的に高校に進学してから高知市内の別の場所に引っ越したこともあり、1987年以降全くといっていいほどここに訪れることはありませんでした。



ですので、闇市自体は1999年まで存続していたようですが、近未来化された(?)市場がどんな感じになっていたのかわたしは知りません。

薄暗いイメージとはうってかわって明るくモダンな感じになっていたんでしょうか?

まあ、さすがに昭和のあの頃のままではなかったでしょうが・・・。



平成まで引き継がれた、昭和を色濃く残す流通形態。

わたしにとって、存在すら意識しないまま姿を消したことになります。

もう一度行っておけば・・・。今思えば惜しいことをしたなあ。



・・・あれ?闇市の話ばっかで、主婦の店の思い出語ってなかったゾ、と。






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